« 桜の卒業式 | トップページ | 圧倒的な幸せ »

こたえあわせ

ハルハルがお空に旅立って、1年半が過ぎた。今でも全然変わることなく心はいつもハルハルと一緒だけれど、現実の世界は変化していき、外に出て人に会い、ハルハルと一緒にいた時とは違う生活をしている。すると、様々なところで当時の「答え合わせ」に出くわすことがある。

 

おじいちゃんが入院中の病院で説明を受けていたとき、「これ、ハルハルの、あのことと似てる??」と何度かハッとした。知ってよかったこと、安心したこと、聞かない方が心穏やかでいられたこと。いくつも。

初任者研修(旧ヘルパー2級)では、高齢者介護が授業のメインだったけど、先に学んでいたらハルハルにも違うやり方ができたかもと思うことがあった。周りをもっとちゃんと感じていたのに、それを過小評価して、ハルハルの望む対応をしてあげられていなかったのでは?と凹んだり。お友達ママは、研修で栄養のやり方が違った知り、ショックを受けていた。

当時は目の前のことで精一杯で気づけなかった、周りの人たちとの関係への影響や軋みが顕在化してきたりもする。しわ寄せがきていたり、傷ついていたりするのに、そうは言えなかった周りの人たちへ、何かもっと違うようにできなかったのか、「大変なのはママだから」と手を差し伸べられることに対する甘えが過ぎなかったか・・反省するところは多い。

逆に、もっと頼ったり任せたりした方がよかったかもしれないことも。例えば、呼吸器でケアが重いからと控えめに申請してたデイの利用希望。今、違う立場からみると、たまに利用するだけでは看護師さんがハルハルのことを自信をもって看るのは難しいとよくわかる。もっと積極的に、将来も見据えて、適切なやり方や頻度を話し合うべきだった。配慮と話し合いは両立する。気を遣うところが違っていた。

また、時間があって動ける「誰か」が声をあげてくれるのを待つというのも、違った。OBになったママが意見を求められることは、ほぼ全くない。皆が聞きたいのは、「現」当事者からの「今」の声だけ。当事者が動かないと変化の突破口は開かない。と言っても、それが物理的にできるためのサポートを受けることが難しいのだけど・・

 

・・・これまで数限りなく失敗や、判断ミスをしてきた。ハルハルの体調や命にかかわってしまったこともある。今だから見えてきた「答え合わせ」の中には、思い込んできたことと違っていて、ほろ苦い味がするものも少なくない。「ごめんね」と謝っても、今となってはもうハルハルには何もできない。ただただ「その時々でできる限りのことをして、ハルハルのためを一番に考えて考え抜いて、決断して行動した」ということを心の拠り所に、その苦味を反芻する。今日のために。これからのために。

 

でも、それよりも多くの「答え合わせ」で、どれだけしっかり向き合ってもらっていたか、大事にしてもらっていたかを実感、感謝の気持ちがあふれ、心の中で頭をさげる。

そして、他愛もない「答え合わせ」は、ハルハルとの時間と今が重なるようで、楽しい。最近テレビで「家にこもっていると筋肉だけじゃなくて運動神経が衰える」って言うのをきいて、ママのあの手足が連動しない感覚はこれだったんだね!とハルハルに話しかける。自転車で滑ったときには、訪問看護師さんが「いちょうのじゅうたんは滑るから慎重に」と言っていたのを思い出す。雪の日、雷の日、桜の景色。笑顔の思い出を胸に、ハルハルと共に季節を感じていく。

|

« 桜の卒業式 | トップページ | 圧倒的な幸せ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 桜の卒業式 | トップページ | 圧倒的な幸せ »