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2019年4月

みんなちゃんと「お母さん」でいられますように

先月、医ケア児の保護者の一人として地域行政の会議に出席する機会があり、悩んだけれど、このタイミングでしか伝えられない事もあると思ってした話を、ここにも載せることにします。もともとは、行政や関係者の方々に「施策から漏れてしまう子に対して、実態を見て手を差し伸べて欲しい」との思いからこのエピソードと感じたことを話そうと思ったのですが、その後、出席者それぞれの立場から、それだけじゃないコメントをいただきました。

子どものことを第一に考えて、ママたちは「自分が頑張ってこの子が体調よく楽しい経験ができるなら」と、倒れる限界までがんばってしまいます。多忙を極める看護師さんや先生達の姿を見て、「親の自分が頑張れるところまで頑張らなくちゃ」と遠慮し、「それでも無理なところだけお願いできないか」と懇願しても、それすら叶わないこともあります。やることが当たり前になり過ぎて自分自身が最も気づかなかったり、「このママならできるから大丈夫」と周囲から思われ頼られてしまうこともあるようです。だけど・・

ママたちへ・・頑張るのは、倒れるまでじゃなくて、お母さんでいられるまで、にしようね。子どもが、本当は自分に何をして欲しいか、どんなママでいて欲しいかを考えて、遠慮せず、受けられる支援は受けようね。

看護師さんなど周りの方々へ・・ものわかりよく遠慮しがちで頑張りすぎるママへは、「ここなら訪問に入れるから、ママ休んで」など、先手を打って休みを促してあげてください。呼吸器や体が大きくなると抱っこも一人では難しくなりがちだから、「私がいる間に、ちょっとだけでも抱っこする?」など、声をかけてみてください。子どもが亡くなれば何をやっていても後悔は残るとしても、「その一回多く抱っこできた」と、幸せな時間を感謝の気持ちと共に思い出すことができます。

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(長文です。実際には部分的に割愛して話しました)

娘のハルハルは、昨秋、113ヵ月で旅立ちました。こういう時期の親が話す機会はあまりないと思いますので、少しお時間を頂戴できればと思います。

 

ハルハルが亡くなる2週間ほど前、長年お世話になっていた訪問の先生が病院まで会いに来てくれました。ちょうど看護師さんとケアの真っ最中だったので、その間に検査結果を見てもらおうとすると、「お母さん、ちょっと」と病室の外へ呼び出されました。そこで「大変なのはわかるけど、まるで医療者みたいになってる。お母さんにしかできないことをしてあげないと」と強く諭されました。多忙な看護師さんに代わって病院でケアをすることも、入院中の状況を在宅関係者にアップデートすることもいつもしていたので、何故そんなことを言うのか不思議に思うと同時に、正直、もうこの状況では好きにやらせて欲しい、とも思いました。しかし、きっと見るに見かねたのだろうと気にかかり、そしてふと、私がこれまで必要に駆られて気づかぬうちに当たり前のようにしていたことを、他人が見て「医療者のようだ」と感じるということは、ハルハル本人は実はもっとそう思っていたのではないか、との疑問が湧いてきました。がんばってきたハルハルがずっと母のこの手でして欲しかったのは、医療的ケアを全て賄うことではなく、優しく抱きしめてもらうことだったのではないか・・その時にはもう、抱っこをしてあげられる状態ではなく、そして永遠にその機会を失いました。

 

ハルハルは、人工呼吸器使用のため、デイケアや学校でも親の付添いが求められ、また訪問看護と短期入所の時以外、その数多くの医療的ケアを全てやらなければ、その命を繋ぎ、成長発達のための経験をさせてあげることができませんでした。私は、長年に及ぶ睡眠不足と疲労の中で、とにかく自分が倒れないよう、少しでも空き時間があれば、抱っこや遊んであげるより、横になるようにしていました。もしも、他のお友達と同じように、いえ半分でも、付添いをせず体を休められたら、もう1回でも多く抱っこしてあげられたかもしれない。親子の形は様々ですが、ハルハルの望む母親だったのかどうか… その思いが拭えません。

 

ハルハルを失った今、私が願うことは、どんなに医療的ケアが重くても、母親がケアに忙殺されることなく、母親として、ちゃんと子供を抱きしめる余裕が持てるようになることです。母親の就労支援を検討する時代にレベルの低い話ですが、重症なほど支援が行き届かない、切実な現状がまだあるのです。

 

数年前、「医療的ケア」が注目されるようになったとき、実態に合致した切り口が出てきてよかったと思いました。施設などでは、障害の重症度よりも、看護師が必要な医療的ケアの有無で扱いが違ったからです。けれど、医療的ケア児への対応が手厚くなっても、呼吸器はダメと言われたり、同じ呼吸器でも、自発呼吸の有無やコミュニケーション能力で線引きされることがあります。また、リソースに限りがある中では、利用対象者の拡大により、よりケアの難しいリスクの高い子たちがその皺寄せで断られることもでてきます。新たな施策で状況が変化し続ける今、実際の運営上、どこで線を引かれているのかを常に見極め、漏れている人に手を差し伸べる福祉であって欲しい。また、学齢時だからといって学校にお任せではなく、学校での課題も含め全体的に状況を判断して、補完をお願いしたいです。

 

特別支援学校における医療的ケア児の送迎や呼吸器の付添い問題への対応は、この一年で着実に前進を続けていますが、残念ながらハルハルには間に合いませんでした。受け入れ可能なデイケア等も圧倒的に不足したままでした。変化には時間がかかります。どのような子たちがいつ何人次のライフステージに上がってくるのか、それに備えて施設の準備や人材の育成を計画的に行うことで、必要な対応が間に合うようできないでしょうか。

 

また、特に、ハルハルもそうでしたが、重心の子が少ない医療機関においては情報も経験も少なく、またママ友のいない環境では親も「孤立」しがちです。地域で繋がれば解決できる課題も多いです。広く意見の吸い上げや情報共有、強力なバックアップ態勢の仕組みづくりをお願いいたします。

 

ハルハルと過ごした日々は、体力的には大変ではありましたが、多くの方々に助けていただいたおかげで、本当に幸せな時間でした。ありがとうございました。多様な医療的ケア児の課題に関心を持ち、支援し続けてくださる方々へは、感謝しかありません。皆さんが疲弊することなく本来の専門業務に集中できるような環境整備がなされることを願っています。

 

状況が改善していくのを見ると、ハルハルが未来へ向けてがんばってつけた蕾が花開いていくようで、嬉しく思います。急速な変化の中ですが「安全」を第一に念頭において、今後ともどうぞよろしくお願いします。誰よりも、子ども達のために。

 

 

 

 

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いつもいっしょ

ハルハルのお骨を入れたペンダントができあがりました~。

検討を始めると、万一にも中のものがこぼれない安全性、作業過程でもなるべく遺骨を手元から離さずに自分で簡単に入れて蓋ができる構造や道具、防水性、メンテナンスの必要性、耐久性、大きさ、厚み、美しさ・・と、普通のジュエリーデザインとは全く違った難しさが。

さらに、ハルハルが生まれたときにお誕生日と名前を刻印して作った記念のアンクレットのお花の形のチャームとペアにして、ずっと身に着けていたい・・と希望したことから極小サイズでバランスを考えてのデザインとなり、難易度がさらにアップ・・。何度もお店と相談した結果、いくつかの希望はあきらめ、イニシャル”H”の入った市販の小さな遺骨ペンダントヘッドを入手(なんでも、散骨などの最近の傾向もあって、手元供養の品の種類は増えているらしい)。厚みのところにハルハルの命日を刻印してもらったうえで、二つ一緒につけられるチェーンを用意してもらいました。(ダブルクリックして拡大すると文字がよく見えます)

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生まれたときから旅立ちの日までハルハルの一生を感じながら、これからも、ずっとずっとママといっしょ。

これで安心してお出掛けできます^^旅行にだって、連れて行けちゃうもんね。

 

この一か月は、おじいちゃんの療養病院への転院&面会などで、あっという間に過ぎました。往復3時間はちょっと遠いなぁと思いつつ、毎日忙しく気を配ることもあるおかげで、悲しみだけに埋もれないでいられるのかも、とも。

今年も、桜並木をパパとハルハルと3人でお散歩しながら、ハルハルの季節を感じています。春だ~よ、ハルハルだよ~♪

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